腕が筋肉痛になった時に思い返す、大切な価値観あれこれ。

頭の中で混沌としている情報群を書き出してみるテスト。


やっと今学期の期末テストウィークが(いろんな意味で)終了して、今日から冬休みに突入した。わーい。冬休みはお仕事のほうに集中する。わーい。


あとは最近、Political ScienceとComputer Scienceのマッシュアップみたいなものに興味があるので、その辺の資料集めでもやろうかな。関連の薄い分野を無理やりくっつけて、ごにょごにょすることが僕は好きだ。


そういえば、最近、夜中三時くらいまで夜更かししても、5時くらいに自然と起きてしまう習慣が定着しつつあって、もう今日は試験も終わってゆっくりできるはずなのに、自然と5時頃には起きてしまった。習慣万歳。


この1週間で、ボールペンを2本使い切った。右腕が筋肉痛になってて痛い。中指のたこも痛いので、最近は親指、人差し指、中指でつまむように持って書いてる。ほら、きつねの影を手で作ったりするじゃん。そんな感じの形。何か書く仕事をしてる人だと、きっと僕なんかよりもっとたくさんの文字や図や絵を普段から描いてるんだと思うと、純粋に尊敬できる。すごい。何か、負担をかけないペンの持ち方とかあるのかな。あるのかもね。


アメリカの大学、特に有名な私立大学や一部の公立大学などの大きな魅力の一つは、学生に対する要求が激しいところにあって、それはそれで急速に成長できるし、充実してる気がするしで心地良い。こういう環境が好きな人はこっちに来るといいよー。でも大変だよね。なんて切り返されるのはよくある話だけど。


でも僕は、こういった、みんながエネルギーに満ちたコミュニティってのは大好きで、はてなインターンに行った時にも感じたことだけど、『することがたくさんある』のは『何もする(できる)ことがない』という状況に比べるとはるかに幸せだ。自分のモチベーションも知らず知らずのうちに高くなるしね。僕なんかは、このコミュニティの中ではアクティブではないほうに位置づけられると思うし。


『あなたって、いつも楽そうでいいよね。』なんて、ちょっと追い込まれ気味の子に言われた。いや、それはない。断じてない。君は僕が今学期オーバーロードしてること知らないんだっけ?なんて思いながら、『うん、楽だよ。』なんて笑顔で言ってみたりする。まあ、楽だよね。基本的に。


おっ、これが噂のポーカーフェースか!?なんて思った。おー、クールだね。まっ、『クール』だなんて生まれてこの方一度も言われたことないけど。いつも這いつくばってるし、かっこ悪い生き方続けてると思う。でもやめられないのは、きっと心地よいから。環境と日常の心地よさは何にも勝る。


大学という一種の社会から隔離され守られた環境で、知的欲求を満たしたいだけ満たす。そんな機会を社会から与えられているということに対して、感謝せずにはいられないし、純粋に自分は幸せだと思う。なんて話をしたら、やっぱり何人かは深く頷いてた。だよね。人生紙一重だよね。ありがたいよね。


この世界には、分布図で表すと限りなく右端に位置するような優秀な人達っていうのがいる。例えば、99.7%レンジに収まらない可能性のある人達だ。しかもそういう人達の多くは、限りなくモチベーションも高い。自分でも能力があるってわかるからね。ノイマンとかそうじゃん。どう謙虚に見積もっても優秀すぎる人達ってのはいるもんだ。アメリカだと、そういう人達はある種の使命感を背負って生きている。


翻って僕自身を見る。そうすると、つくづく感じるんだ。凡人感ってやつを。ほとんどの人は経験するよね。この感覚。まあ、文字で与える印象ほど悲観的なものではないけど。よくある『普通』の定義の、真ん中68%みたいな。度数分布の偏差値で言えば、16-84みたいな。えっ、僕?当たり前にその範囲に入ってる。入らないわけないじゃん。てか、私が入ってあげてる、みたいな。


『与えられたカードで勝負するしかないだろ。』って言葉をどっかで見た。雰囲気かっこいいけど、時間軸のことを忘れちゃってるよね。与えられたカードはロイヤルストレートフラッシュじゃないかもしれない。ワンペアさえもないかもしれない。でも、そんなのこれからどうにでもなるじゃん。それに僕らがポーカーだと思い込んでるだけで、本当はポーカーじゃないのかもしれない。僕達がやってるゲームはね。そうなると、カードの価値もずいぶんと変わるよね。


時間軸を含めて考えることが僕は好きだ。何だってできる。言い訳はできない。挫折も失敗も何もかも、時間軸を含めて考えると内省的な原因が見つかる。やらなかっただけじゃん。やれなかっただけじゃん。


将来だってそうだ。何だってできる。やらないだけじゃん。やれないだけじゃん。そうやって徐々に選択肢を狭めていくのが人生なのかもしれない。時間は可能性の源だ。


極めて優秀な人達が全速力で駆け抜けていくのを見て、僕も全速力で走りだす。方向は違う。だからこそ、価値がある。と自分に言い聞かせる。『僕はまだ全速力じゃない』なんて言わない。言えない。能力もないのに努力もしない。そんなの悲しいじゃん。まっ、勉強するのも行動するのも好きでやってることだから、『努力』って言葉は適切じゃないのかもしれないけどね。


自分と他人でダブルスタンダードを持っている。他人に自分の価値観は強制しない。どうでもいい。いろんな生き方があっていいじゃんと思う。僕の人生のプライオリティは君の人生のプライオリティじゃない。成長主義的な生き方をしていると、その外で過ごしている人達に魅力を感じることも多くなる。人間関係は補完しあうものだとつくづく感じる。牧歌的な雰囲気の人の魅力ってそんな感じなんだろう。


あっ、もう気づいてると思うけど、タイトルに意味はない。