追伸:"right time"にいる僕らへ

モッチーか誰かの本に書いてた"in the right time at the right place"という言葉。確かにチャンスを与えられるのは、そういう適切な時に適切な場所にいる人達だ。ただその条件だけでは、チャンスを掴むためには十分ではない。そう思わない?


だって目立った存在感を発揮する人が、その時その場所にいるのは往々にして偶然ではないじゃん。ビルゲイツはあのハーバードを退学したし、アル・ゴアが環境問題に取り組んでかれこれ40年になる。オバマ上院議員(次期アメリカ大統領)は貧困層出身の混血で、アメリカンドリームを体現してソーシャルクラスを駆け上ったあとに、社会派の弁護士としてそういった貧困に苦しむ人達の草の根支援を行うことをライフワークとしていた。そして、それが彼の政治への道を開いた。母から教えられた『常に勤勉に最善を尽くし続けること』の大切さを彼は(CMでだけど)語っている。そのバックグラウンドがあるからこそ、あの演説やらあの行動やらも説得力があるんだよね。


決断と習慣。自力本願。


でも、きっとそれだけでもない。チャンスを与えられた時にそれを掴めるだけの能力が自分にはあるのか。そのために自分はこれまでに、自分の人生のどれほどをコミットしてきたのか。そういうことも大切なんじゃないかな。そう。だから、もうちょっと必死に生きてもいいんじゃないかと思うんだ。こんな時代だからこそさ。


誰かが言ってたよ。『僕達は(少なくとも)チャンスを与えられたんだ』。そう。僕達は"right time"に生きているのは間違いない。百姓でも天下統一できるのが戦国時代。ソーシャルクラスを隔てる壁は限りなく薄い膜になっている。彼らは己の身体を鍛え武術を磨いたけれど、僕達は知恵と知識を身に付け脳を研ぎ澄ませる。


もう今からじゃ遅すぎて間に合わないんじゃないかって?それは違う。


一つ例を挙げよう。


1929年の世界恐慌。ここからFDRの一連のニューディールから第二次大戦までは大きく繋がっている。そして所謂ニューデーラーは、20世紀のアメリカに、つまりは世界に大きな存在感を示し続けた。世界が動いて『直接的な』影響が続いたのだけでも少なくとも20年。20年だよ。これから20年で僕に何ができる?君に何ができる?


僕はもともと、よくある現代の若者的な、欲が薄く無気力・無関心を内面に持つ典型的な受身的な性格だ。そんな僕でも思うんだ。そんな僕だからこそ思うんだ。


今がその時なんじゃないかってね。


もっと頑張ってみても悪くないんじゃないかってね。こんな時代だからこそ。