世界は善意に満ち、巷には優秀な人が溢れ、人生は挫折に支えられ、青年はテクノロジーに未来を託している。

id:naoyaのブログで、KLab×はてな エンジニア応援ブログコンテストというのを目にした。ちょうど良い機会なので、僕も「エンジニアとしての僕」という視点で、野良エンジニア的な僕のこの数年を断片的に既にブログに書いてることも含めて振り返ってみようと思う。


武勇伝じゃないけど、最優秀賞のシリコンバレーツアー、本気で狙ってます!


うーんと、どこから話そうか。始まりはやっぱり、1度目の起業に失敗した所からかな。20歳くらいの頃だったかな。一般乗合旅客事業が2002年くらいに規制緩和されたのにも関わらず、保守的なバス産業で利幅の多い路線も、地域によっては新規参入がまったく出てこず硬直化していたんだよね。だから、競争に晒されてないドル箱の高速バス路線に絞って適正価格で既存の半額くらいの運賃で新規参入して一定シェア獲得すれば、リーダー企業にならなくても十分大きなビジネスになるんじゃないかと思って起業したんだ。2005年冬くらいだったかな。


結果は、失敗。


というか、そもそも資金調達さえうまくいかなかった。経験もない若造で成熟しきった保守産業でコネとかもまったくなくてって考えると、まあしょうがないよね。自身の能力のなさを強烈に意識し出したのは多分この頃から。


実はさ、この時にマーケティングツールの一つとして、地元にコミュニティを作ろうと思って、始めてコードを弄ってできたのが、長崎のSNS長崎!長崎!だったんだ。パソコン歴1年とかでブラインドタッチもできないのに、どうにかOpenPNEを使って、わかりもしないHTMLやCSS、果てはPHPをこねくりまわして、データベースもわからないなりに使ってみたりして。


ユーザーに喜んでもらえるのが嬉しくて、独自機能の追加もやってみたりなんかしてね。なんか、やってるうちに、コード読むのには段々と慣れてきてさ。データベースもMySQLくらいなら使える。そんなエンジニアとしての世界の扉のドアノブに手をかけた、初心者プログラマーに一応なってた気がするのが2006年あたりのこの頃。


僕は開発だけじゃなくてマーケティングとかも大好きで、せっかく作ったからと、きちんとプレスリリースを送ったり、いろんな売り込みをやったりもしたよ。せっかく作ったんだから、やっぱりたくさんの人に使ってもらいたいからね。その中で、長崎新聞に結構大きく取り上げてもらったりして、初動で約1000人くらいユーザーが登録してくれて、地域SNSの人も認知してくれるようになってきた。


そんなだからさ、ウェブアプリケーションの持つ魅力に取憑かれちゃったんだよね。コストもかからず、自分が作ったものが、自分の人生を、そしてユーザーの人生を変える可能性を秘めている。アプリケーションを作って、「作ったよ!」というと、好意的に紹介してくれるニュースサイトやブログがある。「これはすごい」と褒めてくれる人がいる。何か問題があっても支えてくれるユーザーがいる。


エンジニアやってると、善意に満ちた世界に直接触れられて暖かいよね。


そこからの僕の生活は、息をするようにアプリケーション開発することが日常になった。起業に失敗しちゃったからさ、5年後くらいに再起をかけて再挑戦しようと思ってさ、その準備をきちんとやろうと思った訳。5年で人生回復するなら安い投資だよね。なんて適当に自分に言い聞かせてね。


2007年に作ったCSSEZとかは、ネタフルさんとかネタ帳のyamadaさんとかが取り上げてくれたおかげで、ブックマーク1300とかついて、アクセスも一時はブーストしたりして、それはそれで楽しかったかなぁ。トラフィックを捌く知識も得たし。百式の田口さんが、「ひとりで作るネットサービス」に取り上げてくれるって言ってくれて、遙々長崎から東京までそのために行ったこともあったね。何も入ってない財布を振って。


その頃は、もう本当にどん底でお金もないし、技術もないし、能力もないし、希望もないし、未来もないし。人生、どうしようかと思ってた。でも、エンジニアリングに微かな光を見いだしてたからこそ、少しでも露出がありそうな話を頂いたら有り難く引き受けてたし、話題になりそうなサービスを思いついたらひとまず作って開発してた。


開発と公開に必要なコストはどうにか払おうと心に決めてね。一時はドメイン100個近く持ってたけど、adsenseの収益とかでどうにかトントンでやれてたから、とにかく開発、公開、開発、公開、開発、公開。とそんな日常でどうにか墜落しそうな現実を凌いでた。再起のチャンスをうかがいながらね。


で、そんな時、目にしたのが、2008年のはてなインターン募集の案内。「おっ。いいじゃん。」なんて、軽い気持ちで履歴書送ってみて。結局、ここは僕の人生の明らかな転機になって。このはてなインターン中にCSSEZも譲渡しちゃったりして。人生が少しずつ再起動してる音が聞こえてきたりなんかして。


はてなインターン後は、アメリカの大学に戻って、勢いにまかせてコンピューターサイエンスの専攻を追加してダブルメジャーに挑戦したりなんかして。一旦、回りだせば車輪のように回り続けるもので、あれよあれよという間に、2009年にはIPAの未踏に採択されたり、今年にはComputer Science + Political Scienceのダブルメジャーで大学卒業したりとか。


この時期にたくさんの優秀な人に出会って、いろんなことを教えてもらって、僕自身もエンジニアとしても人間としても成長できた気がする。近頃の若い奴はxxとかさ、歳取ってしまうとxxなんて言うけどさ、上の世代にも、下の世代にも、同世代にも、優秀な人が世界には溢れすぎてるほど、あちこちにいるよね。


目が眩むくらいのたくさんの優秀な人達に囲まれて困惑しちゃうことも多いけどさ、その分刺激も多いし楽しいし。なんか、良い時代に、そして良い世界に生まれたなぁとつくづく思うちゃうよね。


なんか、そんなこんなで、全力で脇目もふらずに転がってたから、転がる方向なんて制御できてなかったんだけど、気づけば今年、シリコンバレーでハイテク分野のスタートアップ起業しちゃって、まさに再挑戦中の自分がいる。


今回も成功できるかどうかは未知数だけど、ひとまずあの頃の僕が欲しかったものが、今この現実の手の中にあるのは確かだ。人生って、ほんと面白いよね。今なら、どこまで落ちてもテクノロジーさえあれば何度でも這い上がれる気がするもんね。


あの頃のどん底から雲を見上げて「チャンスが欲しい。」って独り言のように何度も呟いてた僕に、もし会ったら伝えてあげたい。


間違ってないよって。


あの頃の僕が憧れそして未来を託したように、やっぱり、テクノロジーは可能性に満ちてるよって。