7分30秒で理解した気になれる2008年恐慌問題

「100年に一度の大恐慌」なんて言葉が飛び交う今日この頃、皆さんいかがお過ごしですか。今日は今世界で起こりつつある政治的・経済的な動きについて雑談的な視点での解説を試みます。


大体の対象としては、経済または政治を専門としていない友達との世間話で、今世界で起こっていることについて一連の流れを知ったかぶれる程度を目指しています。


間違ってる所は誰かが訂正してくれると期待しつつ、では適当にいってみましょう。

歴史的位置づけ

そもそも「100年に一度の大恐慌」なんて言葉がどこから飛び出してきたのかと言うと、知ってのとおり1929年の世界恐慌ですね。それ以来の規模の金融危機だと言う認識がある程度共有されているということです。


この29年の恐慌は、株価の大暴落が直接的な原因でした。この恐慌から回復するために、ヨーロッパの主要国は所謂ブロック経済を敷いて何とか切り抜けるわけです。巨大な帝国だからできる植民地との連携ですね。


一方、FDR(フランクリン・ルーズベルト)率いるアメリカは、有名なニューディール政策やら何やらやるんですが、結局成果はあがりません。ただ、自国に一定の資源があったこともあり最悪の事態はまぬがれます。(結局アメリカはWWII特需で景気回復します。)


それでも、1930年代前半には失業率が20%を超えたんじゃなかったかな。


そして資源も植民地も持たない国は荒れ狂う世界で特に大打撃を受けるわけですが、その中でも日本、ドイツ、イタリアはひどかった。これが全体主義的なあれをあれすることになり、結局WWIIへと世界が向かうことになります。


上記のような感じで、1929年は20世紀の進む道を決定付ける分岐点となる年だったわけです。


そして、それほどのイベントと比較されるほどヤバイかもしれないよね。2008年も。実際のところ。


なんていうのが、今世界で騒がれている問題です。

概要

そもそも何でこんなことになったのか。ちょっと説明してみましょう。この辺は、人によって見方がわかれる所でもあります。


まあ、よく言われるのはサブプライムローン問題ですね。簡単に言うと、焦げ付くことがわかりきっている信用力の低い客に対し、住宅価格があがることを前提として高利率でローンを組んじゃった。しかも組みすぎちゃった。


何で組みすぎちゃったのかというと、そういったローンを売ってた銀行側が焦げ付いた時のリスクを一人で背負わなくても良い仕組みが開発されたから。


ほら株式会社とかだと、会社の所有権を株券という風に切り分けて多くの人で持ち合ってリスクを分散するじゃん。そんな感じでローンの担保もみんなで持ち合ってリスクを分散しちゃおうなんて感じで、乱発してたわけです。


もちろん、不動産価格が永遠に上がり続けるはずもなく、2007年に住宅バブルははじけちゃいます。


ここ30年くらいの世界経済は、「豊かさを求めた結果の借金」の歴史でした。住宅ローンの問題が表面化したことで、クレジット市場が混乱します。それによって、楽観主義に支えられたリスク分散も、一気に縮小します。


あとは真っ逆さまにナイアガラ。あっという間もありません。

楽観主義の裏にあるもの

なんで、そんなに世界はリスクを取りすぎちゃっていたのか?その話をの前置きとして、サッチャーさんやレーガンさんの頃から2007年くらいまで支配的だった、経済的にネオリベラルと呼ばれる人達の話を少ししてみましょう。


ネオリベラリズムとは簡単に言えば、規制なんてなくしちゃって自由にやろうぜと主張する人々で規制緩和や国際的には関税の撤廃などを主張します。


例えばNew York Timesのコラムニストで三度くらいピュリッツァー賞を受賞しているトーマス・フリードマンは、グローバリゼーション(≒アメリカニゼーション)を提唱してフリーマーケット(規制のない市場)を主張し、それに反する政策を採る国を時代遅れと批判しました。日本も批判されてました。


逆に市場にまかせて自由に取引させる国、つまりはアメリカは正しい道を歩んでいて、最も成長できる、だから他の国もアメリカの選択した道を歩まなければならなくなるなんて主張をしていました。多分、2000年くらいのことだったと思います。


確かに自由な経済は一時的に高い成長と好景気をもたらしました。しかしその裏にあるリスクは知ってか知らずか見過ごされました。つまりは、過度なリスクテイキングです。


豊かさと成長を求める気持ちを原動力にし突き進んだネオリベラル型の経済は、結局それらに破壊されそうになっているわけです。将来得られる見込みの利益を現在の価値に直して取引するというのは昔からある概念ですね。ただ、それに頼りすぎたのです。


すごく乱暴に説明すると、利益を最大化したいと願う人々は、それらの将来得られる利益を「今」利用して(さらにレバレッジをかけることで)、多くの利益を得ようとしていました。


日々の生活に例えるなら、月末に給料を貰えることを前提にして、ア○フルからお金を借りて生活するといった感じでしょうか。あなたは良い仕事に就いていたから、いくらでもお金をかりることができる。そのお金で、給料の水準以上の生活ができる。


でも、ある日突然会社が倒産して職を失ってしかも給料も何も貰えなくなったとしたら?


今の世界がそんな感じです。

日本との比較

ここまで読んで、日本人なら誰もがデジャブ感に駆られていると思います。そうですよね。日本が経験したバブル崩壊に似てますね。あの時、アメリカからされた批判をリスト化してみましょう。

あっ、さらにデジャブ感が増しましたね。ただ、アメリカ政府とFRBはその印象を打ち消すのに必死です。日本のあの10年は、先進国にあってはならない失態中の失態と認識されています。あれだけ手酷く批判した日本と同じ過ちを辿ってはいけない。必死です。


結局、景気後退を認めるのも、公的資金の投入も、ゼロ金利政策も、為替相場への介入も、全部やってしまってネオリベラルの大義はどこへやらという状況になってしまいました。しかもFRBのこれらの対応はすべて後手後手。客観的な状況の判断ができていないという批判はある程度的を射ているでしょう。


ただ、自分達の持つ思想に捉われず短期間で90度進行方向を変える舵を切ることができるのは流石としか言いようがありません。多様性を許容する懐の深さの賜物でしょうか。

これから

これからどうなるんだろうね。わかんないね。

まとめ

長くなったので、無理やりそれっぽい結論を言って終わりにしよう。


こんな時代だから、僕達はこの社会のダイナミズムの中で挫折を強いられることもこれから多くなると思う。


まあ、だから言いたいんだ。挫折したとしても、そこで劣等感を煮詰めて過度に自己批判するのは一端止めにしようよって。


まあ、だから思うんだ。君が辛い思いをしているのは、そして君の人生が思ったとおりに行かないのは、別に君のせいじゃないよって。


そういうこともあるよね。なんてね。


誰に向けて言ってるのか僕にも意味不明だけど。誰にも向けてないのかもしれないけど。


よし。いい感じにまとまったかな。